晩年父が建てた平屋の隠居家は、広い和室二部屋に広縁を作り、
広縁から見える庭に好きな花を集め眺めることが出来るように
作っていました。特にオダマキはその種類色数がたくさんあり
楽しんで集めていたようです。
若い頃は趣味の写真もアマチュアではよく賞ももらって新聞に
載ったり、家には脱衣所を工夫した暗室もあり、薬剤につけた
中からフワッと画像が出てくることが不思議で面白いと思って
見ていた記憶があります。
幼かった私の手を引いて裏山にあがり眼下に広がる景色を描いて
くれた時のわくわくした気持ちは、私が絵を描く原点でもあります。
魅力のある父でしたが、火宅の人でもありました。
ふたつの家庭を持ち、どちらも大切と言いました。
「燃え尽きて我が人生に悔いなし」が座右の銘。
家族は大いに悔いがあったと今では笑えます。
平穏な家庭でないのは、子どもにとっては辛いことでしたが、
仮面夫婦とか冷えたものではなく、直球で愛情が深かったのかな。
私も弟も真っすぐに大人になりましたし、父が亡くなった時も、
もめることなく二つの家族が一緒に、父を送りました。
平穏な家庭があこがれだった私は結婚してそれを叶えました。
子どもにはそれが一番の幸せと知っていたからです。
父が初めて見せた涙。私が高校生の頃。秘密にしていた養女だと
私が知ったときのことです。出来ればずっと秘密にしておきたかった
と振り向いた父は泣いていました。父の涙を見た最初で最後でした。
父も亡くなり、あの日も、この日も、今は思い出です。
オダマキの優しいピンク、さみしげな薄紫、色数ほどのたくさんの思い出。