「僕にはメロディーがない。和音がない。共鳴がない。帰ってきてくれ。
僕の心よ、全ての思いの源よ。再び帰ってきてくれ。
あの美しい心の高鳴りは、もう永遠に与えられないのだろうか。」
(五線紙に書かれた岩切さんの言葉より)
これは、ある認知症の患者さんが書き残していた言葉です。
認知症の研究の第一人者長谷川先生は学問としての認知症はよくわかって
いたけれど、患者の心の奥底を初めて知ったと涙を流された。
その長谷川先生が自らも認知症になって、その姿を番組が追いかけています。
今朝、一時間も早く目が覚めて、こんなに早い時間に家事を始めては
寝ている家族を起こしてしまうから、と付けたテレビで偶然観た番組。
これはよく言う、偶然ではなく必然だったのかなぁ。
母が認知症になって、日頃から思っていることが裏付けられたような
気持ちがして、忘れないうちに書き留めておこうと思う。
仕事柄たくさんの認知の人に出会って、また母の様子を目の当たりにして、
認知もひとつの病気であり、その異変に、混乱して一番困っているのは
誰でもない本人自身であって、それは自分の日常がままならなくなる不安
でしかない。今日は何をすればいい?自分は誰だ?目の前の人は誰?
そばにいる人は、なぜ?どうしてそんなことをするの?おかしなことを。
などと言っても仕方ない。正そうとしたってそれがもはや正しい在り方だから。
「仕方ない」。「仕方ない」はあきらめの言葉ではない。
それは、真実から目を背けずに、受け入れて、進むための前向きな言葉。
人生には、病気や災害、思いがけない考えたって仕方がないことが時に起こる。
嫌でも、困っても、逃れられない。加齢にともなう心配は皆に平等に必ず訪れる。
それでも、受け入れることと少しの気づきで様子は変わる。変えることも出来る。
長谷川先生とご家族のように、抗って苦しんで、感謝と笑顔にたどり着くことも。